「SsL」代々木公演の主題とは何か

(2015/7/4 初稿)


〈注意〉

本投稿は、
田村ゆかり LOVE LIVE 2015 Spring Sunny side Lily』の
セットリストや映像等のネタバレを含みます。


また、こちらはあくまでも個人的な拡大解釈(自己満足)であり、
他の解釈の方に対する論駁でないこと、
他の解釈を認めないという意思表示ではないことを
ご留意下さい。

(人の考えや解釈に貴賎はないと思っております)


上記点をご納得頂いた上で、閲覧願います。


〈前置き〉

あんなに辛く、苦しいMCは初めてでした。
自分の好きな人が、あんなに苦しんで
あんなに感謝を伝えてくれているのに、
できるのは、彼女の想いを受け取ることだけで。
彼女へ愛を伝えるには、あまりにも無力でした。

今回、不定の感情を鋳型にはめて発信するのは、
知ってほしいと思いながらも知られたくない想いを、
私たちを信じて、ここまで見せてくれた
彼女に誠心誠意報いたい、その一心です。

突っ込みどころの多い文章ですが、
想いだけでも汲み取っていただけるなら、
あなただけが好きなんだと、何らかの形で伝わってくれたなら
少しは彼女へ報いることができるのではないかと思っています。


〈本論〉

SsL」代々木公演で彼女が伝えたいことは、
「私だけ好きになって。」である。
(代々木公演初日のご本人作の短冊より引用)
私が上記拡大解釈に至ったのは、下記根拠に因る。

1 キー曲の変化
2 ホール公演からのセットリストの変化
3 代々木1日目と2日目のセットリストの変化
4 代々木公演2日目の「you」

〈1 キー曲の変化〉

ホール公演では、披露する順番が変わらなかったのに
代々木公演で順番の入れ替えが起こった曲がある。

それぞれの曲の変化については、
後項で触れるが、ここでは、キー曲であるイントロの位置にあった
『エキセントリック・ラヴァー』が『I DO 愛』へ変化した理由について述べたい。
(キー曲に関しては、前回のブログをご参照下さい)

「FFC」の『純愛レッスン』と「SsL」ホール公演の『エキセントリック・ラヴァー』で比較しても明らかなように、
キー曲が変化したということは、伝えたい骨子が変化した、というのが、自然な受け取り方となるであろう。
だが今回は、このキー曲の変化が、ひとつのツアーの中のホール公演と代々木公演での間に起きている。

こちらが意味するものとはなんだろうか。
これは、ホール公演の主題を受け止めた上での、
更なる主題が代々木公演にあるということではないか、と思う。

『エキセントリック・ラヴァー』の「本当のわたしを見つめて」から、
『I DO 愛』の「わがままな君がいい」への推移を恣意解釈すれば、
本当のわたしのわがままな部分を見た上で、それでも選んで好きになってほしい、という形になる。
すなわち、「私だけ好きになって。」である。

また蛇足ではあるが、田村ゆかりさんがMCで「いたずらに一曲目を変えてみた」と仰っていたのが
何よりの証左である。
私の直観でしかないが、田村ゆかりさんは、いつも冗談のふりをして
本当に大事な気持ちを隠すように思えるからだ。

上記のように、キー曲を変えることで、
「FFC」の「恋を知る」、「LiM」の「想いを伝える」の流れに乗って、
ホール公演で「本当のわたしを見つめて」、
代々木公演で「わたしだけ好きになって。」と想いを深化させていると考えられよう。


〈2 ホール公演からのセットリストの変化〉

本項では、前回の投稿同様、紙幅の都合上、
主題を「わたしだけ好きになって。」へ仮置きし
その根拠をセットリストを追いながら述べる。

なお、セットリストは代々木1日目のものに準拠する。

[チャンク1 ゆかりさんの言ってほしいこと]
I DO 愛…「わがままな君がいい」

→前回のブログでも記載したが、
 youの「わがままばかりでゴメンネ きっと 好きになりすぎたみたいなんだ」に対して
 「わがままな君がいい」と返すアンサーソングである。
 ゆかりさんは、ホール公演の主題と想定していた「本当のわたしを見つめて」へ応えたのを前提として
 それでも「わがままな君がいい」と選んで欲しいのだ。

[チャンク2 もっと会いたい]
秘密の扉から会いにきて
…「いつも一緒じゃなきゃと願うのは当然でしょって やっぱ思っちゃう」
 「秘密の扉で Knock-Knock! …いいでしょ?」

fancy baby doll
…「何万回 生まれても 君に会いたい 約束よ」

アンドロメダまで1hour
…「思い出たくさん Let’s go!!」

好きだって言えなくて
…「私を 見つけて もっと もっと 逢いたいな」

I.N.G.
…「会うたびに私 I.N.G 君を もっと好きになる」


田村ゆかりさん本人を見せてくれたその上で、「秘密の扉」を開けて、
 もっと会いたいと私たちへ伝えてくれている、そんなメッセージ性のあるチャンク。

 『好きだって言えなくて』がアンコール1曲目から移動しているのは、
 主題の違いに因るものだ。
 ホール公演では、「本当のわたしを見つめて」が伝えたい趣旨となるため、
 換言とも言える「私を 見つけて もっと もっと 逢いたいな」のフレーズのあるこの曲は終盤に適するだろう。
 だが、「私だけ好きになって。」が趣旨の代々木公演では、終盤に置く曲としては適さない。
 そこで、もっと会いたい、という曲を集めたこのチャンクへ移動したのではないか。

[チャンク3 愛の奇跡]
映像1+映像2
…禁忌の愛を冒した妖精が、暗闇に閉じ込められた上でも
 真心の愛を貫き、妖精の王より恩赦を受ける。

Sympathy of Love…「ふたりなら ふたりなら 信じてゆける かならず」
→二人の愛なら、障壁を乗り越えていけるという曲。
 暗闇に閉じ込められた妖精がそれでも、愛を貫く決心をした暗喩。

虹の奇跡…「今 この手を離したら きっとダメだね」「たったふたりだけの 物語りが終わらないように」
「虹でも出てくれるなら 誰より一番に 奇跡みたいな魔法 きみに届けたいよ」

→「LiM」の映像で妖精へ虹を見せてあげたからこそ起きた奇跡。
 「想いを伝える」が主題のライブ映像での1シーンを元に、
  物語りが終わらない続きもののライブで、夜のイルミネーションの虹のような奇跡みたいな魔法で
  手を離さず、これからも一緒にいたいという想いを伝えてくれているのではないか。

ひとりあやとり
…「あなたに 戻りたくって 戻れなくって ふりむいてばかりの 私を見つけて」
→暗闇の中で、早く地上に戻って会いたいという気持ちを表現している。

君をつれて
…「頼りない僕は頼れる僕に変わりたいと願うんだ」
→鎖で繋がれようと、真心の愛を貫く最中、君をつれていけるように
 頼れる僕へ変わっていくという意思表示。

バーチャルデート(映像)
…ホール公演前半の地方ごとのデート映像。
「何でもいうことを聞いてくれる? それじゃあ、遠いところに旅行へ行きたい。」と
私たちと一緒に旅行へ行く。『君をつれて』のとおり、
わがままであっても、頑張って頼れる僕になって、一緒にツアーを回ろう、
と引っ張ってくれているように思える。

→このチャンクは、ゆかりさんが、辛く、大きな障壁がある時でも、
 頼れる自分に変わって、私たちを引っ張っていく、という意思を見せてくれたのだと思う。

[チャンク4 愛したい]

Traveling with a sheep
…「隠した宝の地図はどこにもない Another heaven??」「手の中で光る素晴らしい羽で飛びたい」
砂落ちる水の宮殿…「一目逢いたい 何がいけないの?」
神聖炉 …「投げかけた千の謎 答えが浮かぶまで 思い出を信じて私は甦る」
     「どうしても貴方から神聖な炎だけ受け取りたいの」

→[チャンク3]の決意を持った上で、上記3曲の真心の愛・情動を持って
 妖精の王から恩赦を受けた、という場面。
 『神聖炉』の映像がベール姿で終わっているのは、
 妖精の献身が真心の愛をもって甦り、終わったことのメタファーであろう。
 (また、映像として主題を伝えるパートの締めであり、
 今後は、歌うゆかりさん自身で言葉を伝えていく、という趣へ変わる)

田村ゆかりさん本人に、映像を照らし合わせるのであれば、
 暗闇の中で真心の愛を貫く姿は、
 ひとり、辛く暗闇の中にいる時でも、
 ファンのいるライブのことを思い出しているという
 嬉しいメッセージであるのではないか。


[チャンク5 愛されたい]
恋のアゲハ…「誰かを見つめちゃイヤなの 私だけを見てて」
Luv Fanatic…「誰も知らない時間はあなたに取ってある」「ペルソナFanatic」
エキセントリック・ラヴァー…「本当のわたしを見つめて」

→愛したいと思った感情の強さだけ、同じレベルで愛されることを願ってしまう。
 そんなわがままで、身勝手な感情があることを、さらけ出してくれて
 「本当のわたしを見つめて」と求めている、そんな光景。

『エキセントリック・ラヴァー』が1曲目から移動しているのは、
 『好きだって言えなくて』同様、主題の違いに因るものだ。
 ホール公演では、この曲の「本当のわたしを見つめて」が伝えたい趣旨となるため、
 そのまま1曲目へと配置した。
 だが、「私だけ好きになって。」が趣旨の代々木公演では、
 「私だけ好きになって。」を伝える前段階(前提条件)として、
 本当のわたしを知ってもらうためのパートである、このチャンクへ併合したと思われる。

[チャンク6 解錠]
クルビヨン
…次曲を封印した宝箱の鍵が見つかった。

スパークリング☆トラベラー
…「恋のトラベラー」

→ホール公演では、クルピヨンの後に『I DO 愛』で鍵を探していた。
 故に封印が解けなかったが、
 代々木ではイントロになることで
 封印が解けた、ということであろう。

 ホール公演を回った「恋のトラベラー」達がようやく、
 イントロの『I DO 愛』でわがままなゆかりさんについていったことで、
 過去の情けない姿を許してくれた、ということだ。

→全力でゆかりさんのわがままに付き合ったこの場面は、
 ある種、「わがままな君がいい」の感情を表した最たるシーンであった。

 ホール公演で、田村ゆかりさん本人を見つめ続け、
 代々木1日目のこの曲で「わがままな君がいい」を体現することで
 その帰結となる主題の「私だけ好きになって。」へ誘われている、そんなチャンク。

[チャンク7 ほんとうの未来を約束しよう]

Love Parade
…「もう1秒だってずれていたら出逢えない 他人のままだった だけど こうして 出会えたね なんて素敵な偶然」
 「love parade 無限の愛が love parade 繋がってゆく」
→出会えた奇跡への感謝と、その幸せのカーニバルがこれからも続いていく、という
 ゆかりさんが願いを込めた曲。


Fortune of Love…「約束しようね」

W:Wonder tale…「奇跡より約束が好き」「違う星は見ちゃだめ ここにいて」

パーティーは終わらない
…「パーティーはずっと続いていく」

もうちょっとFall in Love…「止まらない 止まれない 恋するキモチ」
Pleasure treasure…「ほんとうの未来がそばにあること」

→ゆかりさんだけを好きになって、これからも幸せなパーティーを続けるという、
 ほんとうの未来の約束をする場面。

[チャンク8 「わたしだけ好きになって。」くれるの?]

雨のパンセ…「好きになった ただそれだけ あなたの気持ちの意味もわからないまま」
      「どうして二人はめぐり逢った」

→本当のわたしを見つめてくれた上で、わたしだけを好きになって、
 ほんとうの未来を約束してくれた。
 だが、その約束は、果たして十全に機能を果たすものなのか。

 好きになればなるほど、相手への要求が増え、
 そのわがままを認めてもらうことで、自分だけが特別に認められたようで、
 大きな愛を感じるようになる。
 相手が約束してくれた気持ちの意味もわからないままに、
 要求がエスカレートしてしまって、関係が崩れ、いつしか別れを迎えてしまうこともある。

 そのように、距離が近くなりすぎて、気持ちの温度の違いを知ってしまい、
 その差に苦しくなるのであれば、最初から距離を取っていた方が、つらい思いをせずに済む。
 なのに、思わせぶりな態度に誘惑されて、気持ちを抑えることができない。

 ほんとうの気持ちを知るのは怖いけど、それでも確かめたい。
 どうして二人は巡り合ったのか、同じ温度で一緒に居続けられるのか
 教えて欲しい。

→どんなに幸せな約束をしても、それを得てしてポジティブに受け取ることができないのが、
 田村ゆかりさんの良いところだと思う。
 真剣に、本当に心の奥底から、そうなることを願っているから
 石橋を叩いて確かめたくなるし、予防線を張るために茶化したりする。

 いつも気を遣って、相手を喜ばせようと、やさぐれて振る舞って、
 他人への強要を滅多にしない、そのゆかりさんが
 素を見せてくれた上で、それでもわたしのことだけを好きになってと、
 覚悟を見せてと、わがままを言ってくれている。

 私たちは、どうやって彼女に応えられるだろうか。

[チャンク9 私たちからの返答]
アンコール

→あなただけが好きなんだと、その気持ちを伝えたい人が
 ゆかりさんへ伝わるよう、全力で行った精一杯のアンコール。

 確かに、アンコールの曲目は全て決められているだろうし、
 ステージから捌けた瞬間から次の曲の準備もしているのだろう。
 だが、好きな人に、不安気に「わたしだけ好きになって。」くれるの? と問われ、
 応えないという選択肢が存在するだろうか。

 以前に、予定調和のアンコールが好きでないとのご発言もある故、
 ご覧いただいている皆様にも
 全力で愛を込めて、アンコールしていただきたい。

[チャンク10 未来がひとつになる]

星屑スパイラル
…「夢じゃない 巡り逢えた奇跡」「いま 未来が ひとつになる」

→『雨のパンセ』で問うた「めぐり逢った」意味に対し、
 アンコールでの返歌を受けて、更に「夢じゃない 巡り逢えた奇跡」と返す。
 そんな、愛の交歓を象徴する場面。

Gratitude…「誰よりも見つめててくれる」

あのね Love me Do…「あのね 君を 見つめています」「君を好きでいたいんだ」

→私だけを好きになって、誰よりも見つめててくれるから、
 わたしも君を見つめて好きでいたい、というハッピーエンドの結び。


ホール公演の「本当のわたしを見つめて」を主題としたセットリストから
上記のように、セットリストを組み替えたことで
主題が「本当のわたしを見つめて」を受けた上での、「わがままな君がいい」、
つまり「私だけ好きになって。」へ推移したと結論する。


〈3 代々木1日目と2日目のセットリストの変化〉

皆様は、代々木公演の1日目と2日目の曲目の変わり方を見て
何か違和感を感じなかっただろうか。

1日目は、パレードやパーティーなど、行動的で明るい未来を象徴するような楽曲が多く感じた。
それに対し、2日目は心なしか暗く、でもメッセージが真摯なセットリストであったと感じていた。

ホール公演と代々木公演のように、主題が変化したのだろうか。
確かに最後に『you』が追加されたが、イントロの曲の変化ではないし、
まさか千秋楽のライブのみ、異なる主題というのも考えづらい。

では、主題が同じであると仮定したまま、
二日間の印象が異なる、というのはどのように受け止めたらよいであろう。

私的解釈では、同様の「わたしだけ好きになって。」という主題を
二日間で多面的に表現したのだと結論付けた。

本項では、主題が「わたしだけ好きになって。」であること、
及び代々木の二日間で、多面的に主題を表現したことについて考察したい。


曲目で変化があったものは以下である。

●Sympathy of Love / レリーフのひとかけら
…「ふたりなら ふたりなら 信じてゆける かならず」
/ 「好きだと言ってはいけない さよなら言ってもせつない」

●ひとりあやとり / まだ好きでいさせて
…「あなたに 戻りたくって 戻れなくって ふりむいてばかりの 私を見つけて」
/ 「もし許されるなら これが最後のわがまま 夢のかけら 持っていたい」

●君をつれて / うたかた
…「頼りない僕は頼れる僕に変わりたいと願うんだ」
/ 「水のそこであぶくのような呼吸しているココロ ゆらゆら まだ目覚めないまま あなたを浮かべてる」


→披露された時期は、『I DO 愛』で「わたしだけ好きになって。」の主題をイントロで魅せた後に、
 『I.N.G.』までの[チャンク2 もっと会いたい]を続けた後だ。

 1日目は、そのもっと会いたいという気持ちを受け、
 辛く大きな障壁がある時でも、頼れる自分に変わって、
 私たちを引っ張っていく、という行動的な意思を表現した。

 打って変わって2日目は、もっと会いたいという気持ちを持った上で、
 具体的なアクションは起こさず、心のなかで相手を思う気持ちを強く持っている、そんな曲目だ。

 1日目が、行動を起こしているのに対し、
 2日目は頼れる自分には変わらず、気持ちを胸に秘めたままでいる。


●Love Parade / 君とLOVE
…「もう1秒だってずれていたら出逢えない 他人のままだった だけど こうして 出会えたね なんて素敵な偶然」
/ 「最大の愛を届けたい」

●パーティーは終わらない / Candy Smile
…「パーティーはずっと続いていく」 / 「君だけを見つめていたい」

→披露された時期は、、
 『エキセントリック・ラヴァー』で「本当のわたしを見つめて」という気持ちを受け取った後に、
 その次の『スパークリング☆トラベラー』にて、ようやく過去の不甲斐ない過ちを許され、
 ゆかりさんのわがままに全力で付き合う、という流れの後だ。
 ちょうど、「わたしだけ好きになって。」という伝えたい気持ちを、
 歌で形にしていくパートの前半部分になる。

 1日目では、先の曲目で行動を起こしたからだろうか、
 出会えた素敵な幸せに素直に感謝して、
 このパーティーをずっと続けていこうという
 動的な曲が続く。

 2日目では、胸に秘めた気持ちが大きく吐露されているパートへと変化している。
 「最大の愛を届けたい」、「君だけを見つめていたい」と
 ゆかりさんからの大きな愛の発信が続く。

 比較して整理するとすれば、
 1日目は、これからもずっと一緒にいようという、動的な未来志向、
 2日目は、あなたのことをずっと見つめているという、静的で真摯で一途な愛となるだろう。

●星屑スパイラル / 未来パラソル
…「夢じゃない 巡り逢えた奇跡」「いま 未来が ひとつになる」
/ 「愛しさが溢れそう ぎゅっとね 心で抱きしめて」

→披露された時期は、『雨のパンセ』でどうして巡り逢ったかを問われ、
 その返歌として、私たちが大きなアンコールを送った直後になる。
 お互いの気持ちが出揃った上での、ゆかりさんからのアンサー。

 1日目では、私だけを好きになった上で、
 これからも一緒にいたいという気持ちは同じだよね? という
 問に対して、私たちが応えた。
 更に、その私たちへのアンサーとして、ゆかりさんから
 巡り逢った奇跡に感謝し、二人で同じ未来を歩いて行こう、という気持ちを伝えられた。

 このように、1日目では
 頼れる自分になって、これからもずっとライブを続けていくよ、
 あなた達は私だけが好きなんだから、ずっと付いてきてくれるよね? という
 行動を示した結びになったように思う。

 一方、2日目は、私だけを好きになってくれたあなたに対し、
 私もあなたのことをずっと見つめている。
 このお互いの気持ちがこれからもずっと続いていくよね? という問だ。
 それに応えた私たちに対して、心で抱きしめる、とのアンサーをもらった。

 上記の比較より、、
 二日間とも「わたしだけ好きになって。」という主題を前提においた上で、
 1日目は、実際の行動など、外面で見えるものを求め、
 そして、2日目は内面的な、心に秘めた気持ちに立脚して、私たちの気持ちを求めた、と言える。

 このように、二日間で違うアプローチをしてはいるものの、
 その中核にある主題は共に、「わたしだけ好きになって。」である。


〈4 代々木公演2日目の『you』〉

先述した〈3 代々木1日目と2日目のセットリストの変化〉において、
ゆかりさんは、彼女だけを好きになった上で、
行動(1日目)と気持ち(2日目)を求めていると結論づけた。

その、気持ちにフォーカスした2日目の
一番最後に歌った曲、それが『you』だ。

ホール公演に参加された方は、皆さんご存知だとは思うが
ゆかりさんは度々この曲を歌い、涙されている。
(過去に、気持ちに共感しすぎて、辛くて歌えないと仰っていた)

そこまで思い入れのある、伝えたいメッセージのある曲だからこそ、
内面の心を強く押し出した2日目に、
ツアーの最後の曲として、私たちに披露してくれたのだ。

最終項では、最後の曲としてこの曲を選んだ
ゆかりさんの想いを想像しながら、
私的解釈の主題について論拠を示したい。

この曲で伝えたいメッセージを考えた時に、
そのエッセンスが詰まっているのは、下記のフレーズだ。

「わがままばかりでゴメンネ きっと 好きになりすぎたみたいなんだ」
「今日はまだそばにいていいかな」

わがままが過ぎて、相手へ求める感情が大きくなりすぎた。
その感情の温度が相手と異なっていることにしばらく気づかず、
互いの間にはいつしか致命的なに亀裂が入ってしまった。
でも、そんな壊れかけの関係であっても、少しでも長い時間そばにいたい、
そんなことを歌ったのがこの曲だ。

この曲を最後に持ってきた意味として、
そのまま、ゆかりさんの失恋として解釈するのは容易だ。

確かに、ゆかりさんから、それを感じさせるような発言はあった。
また歌い方がそのように思えた、という直観に対しては、
皆が違う心を持って各々の感じ方をしているのだから、当然ながら否定することはできない。
また、この曲の中に、一毫もその気持ちがないかというと、それは否定はできない。

だが、この曲を最後に持ってきたゆかりさんが
聴衆を前にして伝えたい感情がそれであるか、というと違うのではないか。

こんなにも凝った映像、凝った演出、そして内面をさらけ出してくれたような
ツアーの最後に、その感情をここで伝えることは考えにくいのではないか。

この曲は特定の誰かに向けて歌ったものではなく、ツアーを一緒に回った
私たちに向けて歌ったものだ。私たちへの感情を歌へ仮託したものだ。

ゆかりさんのわがままが過ぎてしまった相手も私たちであるし、
感情の温度が違うかもしれない、と感じさせたのも私たちだ。
そして、少しでも長い間そばにいたいと、ゆかりさんが渇望してくれたのも私たちである。

最近、ゆかりさんのライブが変わった、とよく目にする。
確かに以前の、可愛いお姫様を演じて歌っていたライブとは趣が変わり、
自然体のゆかりさんのままで、曲をやってくれることが増えた。
それは、ご本人の発言でも仰っていた故、意図を持っての変化であることは間違いがない。

私個人としては、こちらの方が好みであったため、
変わらず楽しく参加を続けているが、
変わってついていけなくなった、という方も散見される。

このような、ゆかりさんのある種のわがままが過ぎて、
気持ちの温度に差が出ている、
あるいは、気持ちを出す以前に変わり様に戸惑ってしまい、
応えられないでいる方は少なくないであろう。

それでも、ゆかりさんは少しでも一緒にいたい、と訴えてくれているのではないか。
紛れも無く私たちに対して、涙ながらにうまく歌えなかったとしてもだ。

気持ちの温度は違っていて、致命的な亀裂が入っているかもしれないけれど、
ホール公演で「本当のわたしを見つめて」、それを受けて代々木では「わがままな君がいい」と
言って欲しい、「わたしだけ好きになって。」欲しい、それがゆかりさんがこの曲に託した
メッセージだと信じて止まない。

田村ゆかりさん本人を仮託した妖精を象る、
リンドウの花言葉が「悲しい時のあなたが好き」なのは、
ゆかりさんの変化についていけないという、その悲しい感情をもったままでも
ツアーに参加して、気持ちの温度は違うままでも変わらず応援してほしい、
そんな私たちへの愛を求めてのものだ。

また、彼氏が欲しい、なんて今までのゆかりさんが短冊に書くだろうか。
これは、本当のゆかりさんを見つめ、彼女だけを好きになった
私たちに対して、素を見せてくれるという、ゆかりさんの愛のあるわがままだと思う。

最後に、バーチャルデート2日目の映像だ。
強要をめったにしないゆかりさんが
私たちへ「次のツアーへも絶対に連れて行く」と約束をさせた。
(それも絶対にだよ? と確実性を求めながら)
これは、紛れも無く、次のツアーも一緒に参加してくれるよね?
わたしのことだけを好きになって、変わらず応援してくれるよね? という
私たちを求めてくれている気持ちの発露だ。

このように、代々木2日目に歌われた『you』で表現されたものは、
感情の温度の違いに戸惑っている私たちに向けて、
それでも「わたしだけ好きになって。」、もっと長い時間を一緒にいたいという、
ファン冥利に尽きる、愛の告白であったと結論する。


〈結論〉

代々木公演で伝えたかった、ゆかりさんの想いは、
以下の4つの根拠より、「わたしだけ好きになって。」である。

1 キー曲の変化
→『エキセントリック・ラヴァー』の「本当のわたしを見つめて」を受けての
 『I DO 愛』の「わがままな君がいい」であるため。

2 ホール公演からのセットリストの変化
→ホール公演でとの曲目と披露順の変化により、主題が変化していると見受けられるため。

3 代々木1日目と2日目のセットリストの変化
→1日目は行動、2日目は内面を求める楽曲により、
 多面的に私たちを求めてくれているため。

4 代々木公演2日目の「you」
→2日目の内面を求めるライブにおいて、
 ゆかりさんの変化に戸惑いつつも、それでも一緒にいてほしい、と
 私たちに向けて愛の告白をしてくれているため。

このように本ライブツアーは、ゆかりさんの「わたしだけ好きになって。」という純真な気持ちに、
ファンが太陽の光のような温かい温度で応えることをもって、
田村ゆかり LOVE LIVE 2015 Spring Sunny side Lily』の字面通りに大団円を迎えた、と結論します。


〈最後に〉

ゆかりさんの変化には戸惑いましたが
変わってもなお、居てくれないと、
私は生きることができないと骨に染みてわかりました。

こんな赤裸々な気持ちを、ただの一ファンである私に伝えてくれた
ゆかりさんからの嬉しい気持ちに感涙し、
彼女の辛さ、悲しさ、苦しさが少しだけも
なくなることを願いながら、
筆を置きます。

これからも変わらずに、ゆかりさんを応援していきましょう。
断ろうとしても、バーチャルデート2日目で、
既に絶対に絶対の約束をしてしまったので破ることはできません。

本当に長い文でしたが、
御覧頂いた皆様、ありがとうございました。